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「産みどき」のベストタイミングは?卵子のスペシャリストが「働く女性」に伝えたいこと | Marbera
川口 優太郎先生
2019/05/10
女性が仕事をバリバリとこなし活躍が進められている現代___
働く女性にとって、仕事・結婚・妊娠・出産を考える上で、どんなタイミングを選択してもメリットとデメリットがあり、どのタイミングを「ベスト」と感じるかは人それぞれ大きく異なります。
また同様に、産みどきのタイミングを見極めるために何を判断材料とするのかについても十人十色の考え方があると言えます。
仕事や結婚などのライフイベントとの両立を図るためには、しっかりとした人生設計が必要となり、「〇〇歳までに目標の仕事をやり遂げる」、「〇〇歳までに結婚する」、「〇〇歳までに子どもを授かる」といったライフプランニングをしっかり行う必要があります。
キャリアを重ねていくにつれ、効率的な働き方が身に付いてきて、どんな仕事でもきちんと成果を上げられるようになっていく一方で、女性は年齢を重ねるほどに、どんどん妊娠の可能性が失われていきます。
『妊娠・出産適齢期』というものが存在するためです。
女性活躍推進がますます進んでいく現代においては、自身の『妊娠・出産適齢期』をしっかりと理解し、
「いつか産む」では無く「いつまでに産む」という自身のベストタイミングを見極める必要があります。
女性が、年齢を重ねていくことで妊娠率が下がっていく要因の一つに、〝卵子の老化〟が挙げられます。
「卵子の老化」の意味とは?
〝卵子の老化〟
もしかしたら、このワードを耳にしたことがある方は多いかもしれませんが、「その意味」までを詳しく理解しているという方は多くはないのではないでしょうか。
実際、現在私のクリニックで治療をされている患者さまの中にも「〝卵子が老化する〟ということをよく理解していなかった・・・」という方も少なくありません。
少し複雑なお話しになるのですが、「卵子」と「精子」の決定的な違いとしては、男性は、精巣内に精子の種となる細胞を蓄えており、基本的には死ぬまで精子が作られると表現してもさほど間違いではありません。
しかしながら女性は、生まれた時にすでに卵巣内に一生分の卵子の元が存在しています。そして卵子は新たに作られるということはありません。
女性の卵巣内には、出生時には約200万個の卵子の元が備わっています。その卵子の元が、月経がはじまる思春期ごろまでに徐々に淘汰されていき、約30~40万個にまで減少します。
月経がはじまってからは、ひと月に約1000~2000個の卵子が減っていくと考えられています。そして、卵子が限りなく0に近づいた状態が閉経というわけです。
つまり、卵子は年齢を重ねるにつれてどんどん減少していくだけでなく、女性が生まれてから本人と一緒に年齢を重ねていくわけです。
例えば、もしあなたが現在35歳ならば、卵巣内の卵子も35歳。あなたが過ごした35年間分のありとあらゆるダメージが蓄積されているという事です。
一般的に、長期間の喫煙歴や飲酒歴があったり、あるいは体型が過度の肥満型であったり反対に痩せ型という方が不妊症になりやすいのは、このようなダメージを受けている可能性が高いためです。
これが、我々が〝卵子の老化〟と表現しているものなのです。
卵子の数は20歳で約15万個程度、30代の半ばを過ぎる頃には約5~8万個程度にまで減少し、40代では数千個にまで減少することがすでに示されています。
話が戻りますが、どのようにして「産みどき」のベストタイミングを見極めるのかについては、
もし子どもを望むのであれば、自分の年齢に加えて「卵子の在庫数」を計算する必要があると言えます。
女性が社会でますます活躍しキャリアを重ねていくことも経済的には確かに重要ですが、
「卵子が老化することを知っていれば、もっと早く行動できたのに‥‥」と後悔をしないでほしい。
そのためにも、まずは正しい知識を知ること。そして、仕事・結婚・妊娠・出産などのライフプランニングを早い段階からしっかりと行っていくことが肝心です。
川口 優太郎先生
埼玉医科大学を卒業後、総合病院勤務を経た後に、国際基督教大学(ICU)大学院博士前期課程へと進学。アーツ・サイエンス研究科にて生命科学を専攻。大学院修了後は、加藤レディスクリニック(新宿区)に勤務。同クリニックの系列病院となった中国上海永遠幸婦科医院生殖医学センターへ出向し、病院の立ち上げに携わるとともに、現地スタッフの育成・指導や培養室の運営などを行う。その後、2018年に東京都渋谷区に新規開院となった桜十字渋谷バースクリニックに培養室の立ち上げスタッフとして赴任。培養室主任を務め、指導要領の作製や培養室の運営管理とともに、生殖医療関連のセミナーにて講演を行うなど、精力的に活動。2020年に、総合的な妊活サポート行うリプロダクティブサポートファーム東京を設立し、代表に就任。