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【体験談】突然発覚した二人目不妊。二人目だからこその悩みとは

2022/11/30

Marbera運営事務局

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一人目は自然妊娠。想定外の二人目不妊

二人目不妊というのは、一人目の子供の出産後一定期間避妊をせずに性交渉をしても妊娠しないケースのことです。なんらかの理由で一人目から不妊治療をしている人もいれば、一人目は自然妊娠で出産を経験したものの、二人目で突然不妊治療の対象となる人もいます。

不妊治療は現時点ではその多くが保険適用外の治療でもあり、病院や治療について自分で積極的な情報収集をすべき側面も多々あります。しかし、二人目不妊に限定した情報はあまり多くありません。一人目を自然妊娠で授かり、想定外に二人目不妊の診断を受けた筆者の二人目不妊ならではの悩みをお伝えします。

もちろん、ここに書かれているのはあくまでも私個人の体験であり、すべての人に当てはまることではありません。実際に治療を受ける際には医師とよく話し合って方針を決定することが重要だということは忘れないでくださいね。

一人目妊娠から二人目不妊発覚までの経緯

長男の妊娠がわかったのは、2016年11月、私が34歳のときでした。まだ結婚したばかりでしたが、私の年齢も30代中盤だったため、すぐにでも妊活を始めたいと思い、計画し始めたばかりの頃でした。出産は帝王切開になったのですが、帝王切開後の妊娠は最低1年あいだをあけるようにと医師からいわれることがあります。帝王切開では子宮にもメスを入れているため、十分に時間がたつ前に再度の妊娠によってお腹が大きくなると、子宮の傷が開いてしまうことが懸念されるからです。私が通っていた産院でも同様の説明を受けたため、長男が1歳になるまでは第二子のことは考えていませんでした。

当初私達夫婦は、一人目を順調に自然妊娠したこともあり、妊活を再開すればすぐに子供を授かることができると思っていました。ところが2018年8月頃から第二子のことを意識し始めましたが授かることはなく、2019年の2月に私の職場近くの産婦人科でタイミング指導を受けることにしました。

タイミングを合わせても妊娠しないため、4月頃に担当の医師から「念の為」ということで主人の精液検査を提案されました。我が家では夫婦ふたりともが第二子を熱望していたこともあり、主人も検査や治療を嫌がることはなく、本当に軽い気持ちで検査をしたところ重度の男性不妊であることが発覚しました。

「まさか私たちが‥。」

最初に結果を聞いた気持ちは、やっぱりこれでした。

男性不妊を全く想定していなかったため、検査結果すら私が診察のついでに一人で聞こうと思っていたため、突然すべてを一人で受け止めなければならず、今考えるとまさにパニック。主人のほうが衝撃が大きいなら自分は冷静でいなければとわかっていても、帰りの電車では1時間涙が止まりませんでした。

二人目不妊ならではの悩み

多くの人が、不妊治療のステップとしてタイミング指導や人工授精とステップアップを辿ってきているかと思います。しかし、私たちは精液検査の直後に、医師から顕微授精しか妊娠は無理だろうと伝えられました。そのため、早速高度不妊治療をスタートさせることになりました。実際に体外受精に挑む中で起こる、二人目不妊ならではの悩みもありました。

金銭面での負担

体外受精ではその多くが保険適用外の治療です。自由診療ではクリニックによって金額に差がある項目もあり、治療前にはなかなか費用の詳細がわかりにくい部分があります。もちろんクリニックがすべての金額を明示しているケースもありますが、どのような方法で採卵や移植を迎えるかによっても使用する薬の量などが異なるため、そもそも事前には明確な金額がわかりにくいのです。ただし、事前に調べていても「莫大な金額がかかる」という印象はありました。

そのうえ、36歳で体外受精により出産を迎える確率は、20%以下というデータがあります。(出典:一般社団法人日本生殖医学会)つまり、高額な費用をかけても妊娠、出産に至るという保証はありません。結果につながらず残念な思いをするたびに、まるで息子にかけるべき大切なお金を自分のわがままで不妊治療につぎ込んでいるような気がして、とても心苦しくなります。

時間的負担

不妊治療を開始した時点で、私はすでに長男を保育園に預けて復職していました。私の場合は時短勤務での復職だったので、できる限り同僚に迷惑をかけないように時間ギリギリまで仕事をし、走って保育園にお迎えに行く日々でした。私が最初に通っていた不妊治療専門クリニックでは、すべての患者さんに配慮するため、クリニックの敷地内は子供の立ち入りが禁止されていました。予約を入れていても待ち時間も長く、診察の日は何時にクリニックを出られるか時間も読めません。保育園のお迎えに遅れるにも時間を伝えることもできません。また、本来通院のための保育も認められていないため、その度に預かり先を探すことになります。

しかし、実際に通院してみないと予定が立ちにくいのが不妊治療でもあります。金曜日の診察で、突然翌日土曜日の診察が決まったときなどは一時預かりも既にいっぱい。度々頼れる人もあまりいなく、不妊治療のことを伝えていない相手には理由も説明できず、周囲にも長男にも負担をかけていることがとてもつらかったです。

周囲の理解不足という壁

不妊治療や妊活という言葉自体は、おそらく年々認知度があがってきているように感じます。しかし、実際の不妊治療に関する詳細は、不妊治療を受けた人やその家族以外にはまだまだ理解されにくい現状があります。特に自然妊娠の経験がある人に対しては、周囲も「不妊ではない」と思っていることが多く、悪意がないままに第二子以降のプランを聞かれたり、兄弟はいたほうがいいよ!と勧められたりすることも多いものです。

また、通院の協力を仰ぐために私の両親にカミングアウトした際には「一人子供がいるんだから、そこまでしなくても…」と言われてしまいました。ホルモン治療などもあるため親として心配をしてくれているのは理解できましたが、「そこまで」と言っても私たち夫婦には顕微授精が唯一の選択肢であり、その事実への理解を求めるには大きな壁があるように感じました。

孤独さを解消するためにSNSやブログなどで不妊治療当事者の悩みを色々と見ているうちに、一人目不妊か二人目不妊かということや、治療のステージや治療年数などによって壁があるケースもあるとわかりました。環境や体調は人によって異なり、自分と全く同じということはありえません。だからこそ、体も心も追い詰められがちな不妊治療の中で、誰かと比べて自分のほうがつらいと考えてしまったり、逆に知らずしらずのうちに誰かを傷つけてしまったりという可能性もあります。どれだけ理解しあえる相手をみつけても、結局は自分のつらさは自分にしかわからないのではないかという孤独感は常に胸の奥に残っているような気がします。

二人目不妊の悩みを解決するために

体外受精への挑戦を決めて2年が経とうとしていますが、この間5回の採卵と移植をし、一度流産を経験したものの残念ながらまだ第二子の出産には至っていません。諦めることなく現在進行中で治療を続けるにあたり、二人目不妊の悩みを解決するために私が実践している対策をお伝えします。

不妊治療の終わりを夫婦で話し合う

特に不妊治療の費用を捻出するのが容易ではない我が家では、治療開始当初から不妊治療の終わりについて夫婦で大体のことを決めています。期間や年齢で区切る人もいるようですが、私たちは不妊治療に使う金額の上限を決めました。

また、不妊治療には助成金の対象になるケースもあり、条件に当てはまれば一部の費用を都道府県や自治体から助成してもらうことが可能です。助成金や医療費控除などのこともしっかり調べ、できる限り治療費用を節約できるようにしています。

通院可能な条件による病院の見直し

正直不妊治療開始時点では私自身の知識も乏しかったのですが、会社から徒歩5分の距離に実績も豊富な有名クリニックがあったため、そこに通っていました。しかし、会社が休みの日でも家から1時間かけて通う必要があったり、子供の立ち入りができなかったりと条件では負担になる部分も大きかったです。

このクリニックで2度の体外受精を実施した頃に会社の移転もあり、家から近くのクリニックに転院することにしました。大手クリニックに比べれば設備や実績では多少の差がありますが、託児所があったり待ち時間が少なかったりと、通院の面ではだいぶ負担が減りました。もちろん実績第一で病院選びをするというのもひとつの方法ですが、私の場合は二人目不妊だからこそ、家族みんなにとって負担の少ない病院選びも大切だということを実感しました。

自分のことを責めない

私の場合、不妊治療を受ける中で気持ちが疲れてしまう局面は多々あり、どうやっても避けることはできません。男性不妊にも関わらず自分だけが何度も通院すること、パートナーや家族にも理解されない治療のつらさ、順調に二人目、三人目を出産していく知人、どんどん金額が減っていく貯金…。ときには一人で泣いてしまうこともあります。

特に不妊治療に関しては、決して自分のことを責めないように考え方をコントロールするようにしています。時間や金銭的な負担も一時的なこと、体のことも誰のせいでもなく、それでも人を羨んでしまうような感情さえ治療中なら当たり前!そうやって自分で自分を許すことで、息苦しくならないようにしています。

二人目不妊に心当たりがあれば早めの検査を

二人目不妊の悩みはここでは書ききれないぐらいたくさんありますが、悩んでいるのは一人ではないこと、積極的に行動すれば対処できることもあることを知っていただければと思います。ベビmatchのような妊活サポートアプリを活用することで、夫婦間でもお互いの理解が深まったり、カウンセリングを利用したりと様々な面での負担を軽くすることも可能です。

最後になりますが、二人目不妊ならではの課題として、心当たりがある人は早めに検査をすることをお勧めします。女性が妊娠できる年齢には限界があるため、仮に不妊治療を受けるのであれば、どんな人でも早くから開始するに越したことはありません。ところが第二子以降は第一子に比べれば年齢が進むだけでなく、特に第一子を自然に妊娠した人の場合、不妊ではないという先入観から医療機関の門を叩くまで時間がかかってしまうことがあるようです。しかし実際には、出産によるホルモンバランスの変化で二人目以降不妊になるケースなどもあり、男女ともに第二子以降であっても突如不妊が発覚するということは珍しいことではないということを知ってほしいと思っています。

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【体験談】不妊治療から妊娠、出産までの記録①

2021/05/26

Marbera運営事務局

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体外受精を経て妊娠した筆者の体験談

筆者は一人目を自然妊娠で授かり、大きな問題もなく出産しました。しかし、二人目不妊という壁に直面し、2年4ヶ月の不妊治療の後に体外受精にて妊娠、現在に至ります。

妊活や不妊治療を続けていると、自分は妊娠できないのではないか、体外受精で妊娠した人なんてよほど幸運なんじゃないか、とふさぎ込んだ気持ちになることもありました。今そんな気持ちで治療と闘っている人に、私の体験談をお伝えします。

一人目の妊娠で悩んでいる方には、二人目不妊は贅沢な悩みに見えるかもしれません。しかし、子供を持つことを目指す人にとって、妊娠は決してゴールではなく無事に出産することこそがゴールです。けれども、不妊治療の病院を卒業してからのことがわからず、せっかく陽性が出てから慌てて準備をしなければならないという悩みもたくさん聞きました。

不妊治療から出産に至るまでの経緯は、一人目不妊で悩んでいる方にも参考になるのではないでしょうか。

最後の体外受精に至るまで

先述のように、私は34歳のときに長男を自然妊娠し、出産しました。子供を持つことを考えてから妊娠までの時間が短かったこともあり、自分がまさか不妊に該当するとは思ってもいませんでした。

しかし、二人目を考え始めたときすでに35歳を超えていたため、念の為受けた不妊検査で男性不妊が発覚。通常ならタイミング法、人工授精とステップを重ねる人が多いなか、高度不妊治療の中でも最終手段である顕微授精でしか子供は望めないだろうという診断を受けることになったのです。

不妊治療のこともほとんどわからず、ましてや体外受精というのは採卵に至るまでの卵巣刺激方法もいろいろあり、自分が何を理解すべきなのかも全くわからないという状況からのスタートです。

病院選びにも悩みました。幸い会社から5分で行ける場所に体外受精で実績のある有名クリニックがあり、普段は初診の予約をするにも何ヶ月も待つという噂でしたが偶然スムーズに予約が取れたため、そちらのクリニックに通うことになりました。

2度の体外受精に挑戦

体外受精は採卵から移植までをトータルで考えると、一度移植をするために50万円から100万円という高額な費用がかかります。どれだけ子供を切望していても、現実的にはかけられる費用にも限度がありました。体外受精では多くの場合、最も費用がかかるのは採卵です。一度の採卵で複数回分の受精卵を作ることができれば、移植自体は10万円から30万円程度で、方法によっては毎月移植に挑戦することも可能です。

しかし私の場合、検査では原因がわからないにも関わらず、卵巣の刺激方法を工夫してみても卵胞が育ちにくく、一度の採卵で1~2個、さらには卵胞の育ちが悪くて採卵がキャンセルになることも続きました。そのため、2度の採卵、2度の移植を終えるまでに1年間もかかってしまいました。

いずれも結果は陰性。この頃にはメンタル面での悩みを共有するためにSNSを活用するようにもなっていて、不妊治療では結果を求めて病院を転院する人が多いことも知りました。同時期に会社が移転する都合で当初のクリニックには通いにくくなったため、大きな不満はないものの家から最寄りのクリニックに転院しました。

転院後の初移植で陽性

当初のクリニックでは、胚盤胞をホルモン補充周期で移植するのが基本的な方針でした。現在では多くのクリニックが実績に基づいてこの方法をとっています。しかし、今までとは少しでも異なるアプローチをしたいという考えから、転院先のクリニックでは新鮮胚を移植することにしました。

その結果、転院後の初移植で初めての陽性反応。ところが心拍確認までは順調だったのですが、9週での流産となってしまいました。クリニックの方針で治療再開まで3回生理を見送ることになりました。焦る気持ちはあったものの毎日の注射など、仕事や育児とスケジュールをあわせながらの治療に疲れていたこともあり、治療をお休みしている期間はこれからの不妊治療についてゆっくり考える良い機会にもなりました。

最後の採卵

3ヶ月治療を休んでいる間に夫婦での話し合いをし、あと一度採卵をして不妊治療を終了しようということに決めました。

今まで体への負担も考慮して中刺激という方法で卵巣を刺激して採卵に挑んでいましたが、最後ということでなんとか卵胞を多くとりたいと考え、高刺激法にチャレンジすることに決めました。今までは採卵までに3回ほど筋肉注射をしてきましたが、高刺激法では一週間以上毎日注射に通う日々。それでも採取できた成熟卵は3つ、顕微授精によってそのうち2個が胚盤胞になりました。

翌月そのうちの1個を移植しましたが、やはり陰性という結果に終わりました。

最後の移植

残る胚盤胞はあとひとつ。

多くの病院では様々な基準に基づいて胚盤胞を評価しています。私が通っていたクリニックではガードナー分類というものを採用していて、残っている胚盤胞は4CCというグレードのものでした。

実は4CCの胚盤胞はグレードとしては良いものではなく、移植に向いていない胚盤胞として凍結基準に満たず破棄してしまうクリニックも多いほどです。そのため、自分の中ではもう妊娠はできないものだと諦めていました。

最後の移植は、やはり今まで一度も試したことがないという理由で自然周期での移植を選択しました。

陽性判定から不妊専門病院の卒業

驚くべきことに、結果的にはこの4CCの胚盤胞移植で陽性判定をもらうことができました。しかし、これで治療が終了というわけではありません。

陽性判定が出てからも1週間ごとに通院し、血液検査によってホルモン数値を測定し、それに合わせて必要なホルモンを補充しました。体外受精では自然妊娠に比べて妊娠を継続するために必要なホルモンの分泌が少し遅くなることがあり、自力で十分なホルモンを分泌できるようになるまで薬でホルモンを補充し続ける必要があるからです。

胎嚢確認、心拍確認と順調に進むものの、わずかにホルモン数値が基準に満たない日々が続き、結果12週まで不妊治療のクリニックに通うことになりました。

産院選び

さらに、頭を悩ませるのは産院選びです。産婦人科や総合病院で不妊治療をしている方は別ですが、不妊治療専門の病院には産科がないことも珍しくありません。さらに、私の住む東京では希望の産院を選択しようとすると5週目ですでに産科の予約がうまってしまうことさえあります。もちろん受入人数を限定していない病院もあるのですが、希望の条件に合わなかったり通いにくい距離になってしまうこともあります。

しかし、一度流産を経験している立場では、ある程度の自信が持てるまで産院の予約をする気持ちにもなれませんでした。特に第一子を出産したのは人気の産院なため、同じ産院での出産を希望する私にはいつ産院の初診を受けるかというのは悩みどころです。

8週目で二度目の心拍が確認できたとき、今後もしこの妊娠が継続できるのであれば、やはり安心して出産に挑めるようにと考え、勇気を出して産院の予約を入れました。幸運なことに8週でもまだ予約可能だったため、産院が決定しました。

安定期に入るまで

12週で不妊治療のクリニックを卒業しましたが、16週の安定期を迎えるまでは不安な毎日が続きました。喜びや楽しみという気持ちより、「また流産してしまうのでは‥」という思いのほうが大きく、病院に行く朝は緊張から気分が憂鬱でした。

母子手帳をもらい、不妊治療のクリニックを卒業し、安定期を迎えてようやく楽しみという気持ちが芽生えてきました。まだ不安が消えたわけではなく、純粋にポジティブな気持ちだけで過ごせないことを後ろめたく思うこともあります。しかし、不安な気持ちはこれまでの治療や流産というつらい時間を乗り越えてきた証だとも思うようになり、そんな自分さえも受け入れることで穏やかな気持ちで過ごせる時間が増えたように思います。

治療を卒業し、出産というゴールを目指して

不妊治療を続けていた2年4ヶ月という時間は、とても苦しいものでした。しかし、不妊治療をしていなければわからないこともたくさんありました。

また、治療をしながら理解していったこともたくさんあります。私の場合、最初の一年ぐらいはただただ言われるままに治療を進めていました。もちろん医師を信頼してすべてを任せるのも良いのですが、不妊治療にはまだ未知な部分も多く、医師によって方針も様々です。

必ずしも努力の末に結果が伴うというものではないからこそ、自分自身で情報収集をし、勉強を重ね、医師との相談の上で納得して治療を進めることが重要だと感じました。私の場合は4回目の移植ぐらいからようやく治療方針の希望を伝えられるようになり、だからこそ結果がどうなっても「これでやりきったと思えるだろうね」と納得して終了時期を決められたともいえます。

また、繰り返しになりますが、当事者にとって不妊治療のゴールは出産です。すべての妊娠は奇跡的なもので、妊娠期間の過ごし方や出産方法にそれぞれの理想があって当然です。ところが、治療が長くなればなるほど希望を持つことがつらくなっていき、妊娠したあとのことを想像しにくくなっていきます。陽性判定が出て不妊治療の病院を卒業したときには選択肢が少なくなってしまう、ということがないように、治療の先にある出産までをイメージし、出産に関する情報収集をしておくこともまた重要だと思います。

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【体験談】不妊治療を経て初めての陽性から流産まで

2021/04/14

Marbera運営事務局

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二人目不妊で不妊治療を開始した理由

筆者が不妊治療専門のクリニックに通院するようになったのは、第一子出産から一年半が経過した頃でした。もともと第一子を帝王切開で出産したため、妊活の再開には1年開けるようにと言われていました。しかし、それから半年間妊活をしても妊娠に至ることはなく、夜間授乳などもあり思うようにタイミングを取ることも難しいため、効率的な方法を求めて不妊治療専門のクリニックに通うことにしました。

当初は妊娠や出産を経て排卵のバランスが崩れているかもしれないと思い、効率的にタイミングを取りたいと考えたことが通院のきっかけです。しかし「念の為」と医師から勧められ、タイミング指導と並行して検査をしてみたら重度の男性不妊であることが発覚。不妊治療の中でも最終ステージとされる「顕微授精(IVF)」でしか妊娠の望みはないと告げられました。

検査結果をもとに何度も夫婦で話し合い、予算や期間の制限を決めた上で顕微授精に挑戦することを決め、通院生活が始まりました。

初めての採卵から移植まで

顕微授精に挑戦すると決めたとき、私は既に36歳。35歳を超えると顕著に妊娠率が低下していくため、診断から2ヶ月後には採卵のための投薬が始まりました。

幸い私自身の検査では何も問題がみつからず、年齢的な問題はあるにせよ顕微授精であれば十分に妊娠する可能性があるだろうと考えていました。金銭的な問題も、調べてみると費用負担が大きいのは主に採卵だということがわかり、更に、女性側に問題がない場合36歳であれば治療法によっては一度に複数の卵子を採卵することが可能だということもわかりました。

初めての採卵

最初の採卵では3個以上の卵子を採るため、中刺激法を選択。当時通っていたクリニックは基本的に胚盤胞移植を勧めていたため、採卵後は胚盤胞まで育ててから移植をすることに決定しました。

ところが、いざ採卵周期に入ってみるとなかなか卵子が育ちません。何はともあれ移植しないと先に進めない、移植さえできれば妊娠できるだろう、と考えていたこともあり、少ない卵胞数でも採卵に進むことになりました。そして、最初の採卵では2つの卵子を採取することができました。

通院のたびに打つ筋肉注射が痛かったこと、仕事と育児、通院の調整がとても大変だったことが大きな負担でした。

初めての移植

なんとか2つの卵子を採取したものの、胚盤胞になったのはひとつだけ。調べてみると、胚盤胞が少ない場合は移植に進まずに採卵を続ける人が多いことを知りました。たとえば不妊治療によって複数回の出産を視野に入れている場合などは、一人目の出産によって約一年が経過してしまうため、少しでも若いうちに卵子をとっておくほうが良いことはわかりましたが、我が家はもうひとり出産するところまでしか考えていません。そのため、今ある胚盤胞で妊娠するかもしれないのに、たくさんの費用をかけて胚盤胞をいくつか用意する必要性が感じられず、そのまま移植に進むことにしました。

さらに、移植には様々なオプションがあり、オプションに関しては体外受精の説明会や資料で確認することができました。けれども通院していたクリニックではオプションについて医師から個別の説明はなく、実際自分にはどの程度効果的なのか、どれを選択するのが理想なのかは手探りな状態。少しでも妊娠率を上げるため、費用負担の少ないものからいくつかのオプションを選択しました。

初めての顕微授精の結果

採卵や移植までに投薬があるのは想定していましたが、移植の後にも経口薬や膣剤、貼り薬などが続くということは知りませんでした。もちろん事前に体外受精の説明会で一通りの流れを聞いていたのですが、採卵や移植、その後のことなど、内容が多岐に渡るためすべてをしっかり理解できていなかったように感じます。実際には手探りな状態で治療をスタートし、治療が進むにつれて理解を深め、自分がもっと知るべきことが何なのかということを見つけていくという日々でした。

そして、残念なことに初回の移植では着床に至らず。治療を始めたことで妊娠に向けて大きな一歩を踏み出したと思っていたせいで、落胆して涙が止まりませんでした。

初めて陽性判定が出た3度目の移植

初めての移植で陰性判定を受け、その周期でまた採卵準備に入りました。しかし、原因はわからないもののやはり卵子がうまく育たないことが多く、投薬を続けては採卵キャンセルの繰り返し。注射や通院の負担がなんの結果にも結びつかないことは、精神的にも疲弊していきます。自身の引っ越しなどの都合でこれまでのクリニックには通院しにくくなり、気分転換のためにも転院をしました。

転院先のクリニックでは新鮮胚移植を勧めていて、複数の卵子が採卵できた場合には残りを胚盤胞まで育てるという方針。また、以前のクリニックでは採卵時に静脈麻酔を使用していましたが、転院先では局所麻酔での施術など、クリニックによってここまで方針の違いがあるということも初めて知ることになります。

こちらのクリニックでの初採卵でも、やはり得られた受精卵はひとつ。その受精卵を新鮮胚移植することになりました。

初めての陽性判定

胚盤胞移植のほうが成績が良いというのが最近のトレンドでもあり、新鮮胚移植には少し不安もあったものの、今までと違うアプローチがしたいという希望があったので納得して新鮮胚移植に進みました。そして、結果的にこの移植で初めての陽性判定をいただくことになります。最初の移植から9ヶ月が過ぎていて、体外受精でも自分は妊娠できないのではないかと諦めかけていたため、とても驚いたことを覚えています。

しかし、血液による判定の結果、妊娠を判断するhCGの値がとても低く、医師からは「着床はしているけれど、おそらくこのまま生理が来てしまうだろう」と告げられました。経過を見るために、投薬と5日おきの通院が続くことになり、医師の見立てとは反対にhCGの数値は少しずつ伸びていきました。

子宮外妊娠かもしれないとも言われましたが、その後無事に胎嚢が確認され、心拍が確認され、と段階を経て正常な妊娠であることがわかります。けれどもいずれも想定より一週間ほど遅れていて、8週目までの5回の通院では一度も順調と言われることはありませんでした。

毎回検診の度に、もうダメかもしれないという思いがあり、初めての陽性判定でも明るい気持ちにはなれずつらい毎日だったというのが現実です。

流産の判定

妊娠では、心拍が確認できるまでがひとつの壁といわれることがあります。そのため、心拍が確認できたことは私にとっても大きな一歩でした。しかしこの時点で心拍は通常よりもだいぶ弱く、心拍が止まってしまう可能性があることも告げられていました。

そして8週目の検診の際、胎児の心拍が停止していることがわかりました。ずっと心の準備はしていましたが、涙が溢れて止まらなくなり、検査室からなかなか出られませんでした。

お腹の中に胎児はいるものの成長が止まってしまうことを稽留流産といいます。体内から摘出するための手術を勧められましたが通院先のクリニックでは手術の対応をしていないため、近くの産婦人科への紹介状をもらい、そちらで手術をすることになりました。

稽留流産の手術

不妊治療のクリニックから紹介された病院の初診では、念の為再度エコーによる確認がありました。やはりこちらでも心拍は確認できず、手術を受けることに。手術の方法や病院の方針によっても異なりますが、私が受けた吸引手術自体はもちろん麻酔もあるため痛みを感じることもなく、術後に1時間程度ベッドで休む時間を入れても3時間程度で終わり、入院の必要もありません。

手術直後は重い生理痛のような痛みがありましたが、電車に乗って帰宅するのも問題はない程度でした。

不妊治療再開まで

稽留流産の手術後は、3回生理を見送ってから不妊治療の再開可能というのがクリニックの方針であり、それまでは治療をお休みすることになります。このとき初めて、いわゆる貯卵といわれる、胚盤胞をいくつか採取しておく必要性を感じました。特に35歳を過ぎての治療では1ヶ月の間にさえ卵巣や子宮、卵子の老化が進んでいきます。3ヶ月何もできずにまた採卵から始めるのはデメリットが大きいようにも感じました。

説明を受けた際には早る気持ちもあったものの、流産による精神的なダメージは想像以上。特に手術直後の数週間は一日中泣いているような日も珍しくなく、1年以上ぶりに通院がない毎日がとても楽でもあり、初めてもう治療を辞めようかと考えるようにもなりました。SNSで同じような状況の人と励まし合ったり家族のサポートがあったりという中で、ゆっくりとメンタルも回復していき、3ヶ月後にはまた治療に挑戦したいという気持ちが湧くようになりました。

流産というつらい経験を乗り越えて

体外受精を経て稽留流産を経験したことは、私にもパートナーにもとてもつらいことでした。もちろんまだ小さい命とはいえ、子供を亡くしてしまったということは誰にとってもつらいことです。そして、現実的には高額な費用、大きな体への負担、家族にかけてきた負担など、そのすべてがこの結果にしか結びつかなかったと思うことがつらい気持ちをより一層大きくしました。また、実際に術後の私を見て、パートナーはこれ以上私に負担をかけないように治療を辞めたいとも言いました。

不妊治療では、残念ながら誰もが絶対に妊娠できるとは限りません。そして、妊娠できたからといって出産に至るとも限りません。

妊娠を目指していた私にとって、妊娠がゴールではないと強く感じる経験でもありました。それと同時に、治療をしているか否かに関わらず、妊娠の15%は流産という結果になるともいわれています。病院で妊娠判定が出る以前の化学流産も含めると、15%以上になるということです。

それだけ多くの方が実は流産というつらい経験をしていることや、無事に出産できるということがどんなに奇跡的なことかということを改めて知ることになりました。

不妊治療や流産判定の後の治療方針、治療内容は病院によっても大きく異なります。それを踏まえた上で、流産判定を受けて不安を抱えている人や、流産後に孤独感を感じている人はひとつのケースとして参考にしてみてください。

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【体験談】突然直面した二人目不妊。我が家の不妊治療が始まるまで

2021/02/14

Marbera運営事務局

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突然発覚した二人目不妊。通院のきっかけは?

筆者は2017年8月に長男を帝王切開で出産し、1年後の2018年8月から第二子妊娠を目指すことになりました。しかし、私はこのとき既に出産前に勤めていた会社に時短勤務で復職していたため、育児、家事、そして仕事とすべてをしっかりこなすために疲れ果てていました。

主人は朝早くに出勤、土曜日も仕事なので月曜日から土曜日まで育児と家事はほぼワンオペ状態。私は初めての育児で段取りが悪い部分もあり、朝起きてから一通りの家事が終わる21時ぐらいまで、仕事以外で座る時間もないような毎日です。妊娠するためには積極的に夫婦生活を持つべきだということがわかっていても、体力的にもメンタル的にもあまり前向きになれないほど疲弊していたように思います。

そのため、第二子妊娠のためにより効率的にタイミングを取りたいと思ったことが産婦人科への通院のきっかけでした。最初の病院では問診により、一人目出産経験もあることからまずはしっかりタイミングをあわせるための治療を受けました。

原因はまさかの「男性不妊」

この4ヶ月の間に、私のホルモン状態を知るための血液検査や、卵管が詰まっていないか確認するための検査を受けるも異常はありませんでした。

医師からは「タイミングをとっても100%妊娠するわけじゃないから焦らずにいこう」とアドバイスをくれる一方で、「本当に時間があるときで良いと思う」と前置きをしながらも精液検査をすることを提案してくれました。

妊活や不妊治療では、精液検査の時点で男性が前向きに取り組んでくれない、という悩みを聞くことがありますが、幸いなことに我が家では第二子を希望する気持ちに夫婦で差はなく、主人も協力的でした。しかし私たち夫婦は、この時点でもまだ「不妊」という言葉がよぎることもなく、さほど大きな問題だとも思わずに促されるまま検体を提出してしまったのです。

男性不妊発覚に思わず涙が…

まさか男性不妊が発覚するなんて思ってもいなかったため、検査当日でも主人は病院に行かず、自宅で採取した精子を私が病院まで運びました。私は排卵の様子を見るための通院があり、その「ついで」ぐらいにしか考えていませんでした。

病院では検体提出から一時間後には結果がわかるため、一時間待ってから私が医師に話を聞きました。そして医師から驚いた様子で「これは、自然妊娠というのはまず無理だという数字。体外受精、しかも顕微授精じゃないと妊娠することはないと思う。」と告げられました。

そこから一時間。自宅の最寄り駅まで電車に乗っている間、涙が止まりませんでした。主人のほうがショックを受けるであろうこと、主人に同説明したらいいか、今後どうしたら良いのか、など、泣かずにしっかり考えなければいけないのはわかっていても、どうやっても涙が止まりませんでした。

家についても泣いている私に主人は驚いていました。「あなたの精子の状態では、妊娠はできないって」という私の言葉を聞き、主人も泣き出してしまったのでした。

男性不妊の専門病院を受診

前述の精液検査をした病院では、このあともう一度検査をすることになりました。というのも確かに2年前に私が自然妊娠していること、主人にはそのほかにも前妻との間に2児がいることなどを受け、医師から「今回の検査のみが著しくコンディションが悪かった可能性もあるからもう一度検査したい」と言われたからです。

しかし再検査の結果も変わることはありませんでした。

そして私は、早急に男性不妊で有名な泌尿器科の予約を取りました。私の通っていた病院でも診察は受けられたのですが、男性不妊により詳しい病院のほうが安心だと考えたからでした。

精索静脈瘤が発覚

泌尿器科を受診した結果、主人に精索静脈瘤が発見されました。

精索静脈瘤とは、精巣やその上の精索部(精管、血管、神経、リンパ管などを覆う3層構造の膜)に静脈瘤(じょうみゃくりゅう・静脈の拡張)が認められる症状のことを指します。一般男性の15%に認められ、男性不妊症患者の40%がその疑いであるとされています。

引用:銀座リプロ外科

個人差はありますが、精索静脈瘤自体は自覚症状がないことも多く、炎症を起こさなければ不妊などの精巣機能以外、健康面で大きな影響がないケースも多々あります。そのため、手術で改善は可能ですが必ずしも手術を受けなければいけないというわけではありません。

ただし手術をすることで精液所見の改善が見られることが多いという説明を受け、私たちは手術をすることに決めました。

体外受精で実績のある不妊治療専門クリニックを受診

その傍らで、これまでに通っていた産婦人科ではなく、体外受精で実績があるクリニックを探し始めました。しかしこの時点では私はまだまだ不妊症のことも体外受精のこともわからないことが多く、何を基準にクリニック選びをするべきなのかにも迷い、以下の点に注目することにしました。

  • 会社か自宅、どちらかの最寄り駅にあること
  • 実績や金額がウェブサイトで公開されていること
  • 記載されている金額が「相場」の範囲内であること

体外受精では、治療の過程で投薬のための通院が連日発生する場合もあります。仕事と育児を両立しながらの不妊治療では通いやすいことは必須条件だと考え、その他は不妊治療が自由診療であることから「信頼できるクリニック」を探すために重要だと考えました。

幸い会社から徒歩5分の場所に、不妊治療のことを調べたことがある人なら一度は名前を聞くような有名なクリニックがあり、そこに通院することに決めました。

実際の通院が始まってわかった「想定外」なこと

色々調べていたつもりでしたが、やはり実際に治療が始まってから初めてわかることはたくさんありました。

すぐに予約できるとは限らない

私が選んだクリニックでは、体外受精を受けるならばまずはクリニック主催の体外受精説明会を受ける必要があります。この説明会は月に1度しか開催されておらず、予約は3ヶ月先までうまっているような状況でした。偶然キャンセルによる空きが出たためすぐに参加できたのですが、以前は約1年待つこともあったようです。予約状況はクリニックによって異なりますが、人気のクリニックだと初診を受けるまでに時間がかかることは珍しくないようです。

子供連れの通院は不可

これはクリニックによって大きくことなることですが、私の場合は子連れ不可の可能性さえ知らなかったため、通院で大きなストレスになりました。不妊治療は排卵の状況が大きく影響しますが、排卵の状況は人によって違うだけでなく、その月によっても異なります。さらに、投薬で排卵をコントロールすることになれば、ベストな状態を作るまでに細かく診察が必要になります。ときには予定していなくとも「明日もう一度来て」と言われることも多々ありました。

一時託児所やベビーシッターを依頼する人もいるようですが、特に都心では前日の夕方ではもう依頼が間に合わないことのほうが多いということもわかりました。さらに、クリニックの待ち時間は早いときは30分程度ですが、長いと3~4時間かかることもあり、預け時間もはっきり伝えられない状況で度々預かってくれる友人や知人もなかなか見つけられませんでした。

中には託児所があるクリニックや、必ずしも子連れ不可というわけではない病院もあります。突発的な受診に対応できるのかということも踏まえて考慮する必要があるのは、二人目不妊ならではの悩みともいえます。

精索静脈瘤の手術をしても自然妊娠できるとは限らない

これには個人差もあり、医師によって見解が大きく異る部分です。あくまでも私が通った不妊専門クリニックでは、主人の年齢的な問題なども踏まえて考慮すると手術を受けても自然妊娠が可能なほど改善するとは考え難い、と言われました。これは、「泌尿器科的に見た健康上問題ないとされる数値」と「問題なく自然妊娠可能な数値」には差があるからだという説明を受けました。すでに主人の手術を決めているタイミングだったのでこれには驚きましたが、手術を受ける意味がないということではありません。

妊娠のためには、単純な精子の個数だけではなく、精子の形態や運動状態も影響します。つまり手術によって精子の質が改善されることは、体外受精にとって大きなプラス要素になります。

詳細な金額がわかりにくい

体外受精というのは、決して安いものではなく、治療費のせいで治療を諦めざるを得ない人もいます。現段階(2021年2月現在)では保険適用外の自由診療にあたので、クリニックによって金額が大きく異なります。ウェブサイトや電話の問い合わせでは金額の説明がないケースも多いからこそ、私は費用を明確にしているクリニックのほうが信頼できると考えていました。

もちろんある程度の金額を把握しておくことは重要なのですが、治療開始の段階では、費用の一覧を見てもあまり予測が立てにくいものなんだということは、あとからわかりました。ひとつひとつの費用は明確であっても、以下のような点で費用が大きく異り、あくまでも通院してみないと把握しきれないからです。

  • どの薬剤を使用するのか
  • それに伴ってどの程度の頻度で診察があるのか
  • 採卵でいくつの卵子が撮れるのか
  • 移植のオプションは何を選択するのか

上記はほんの一例でしかありません。すでに体外受精を経験している人が転院する場合や、同じクリニックでの何度目かの挑戦であれば、大体の金額は想定できるようになってきます。あくまでも私の場合は、それでも当初調べたときよりはずっと高額な印象を受けました。

二人目だからと安心せず、まずは検査を

二人目不妊の場合、当人たちも周囲も不妊を疑わないことが多く、受診まで時間がかかってしまうことが多いようです。しかし妊娠、出産できる年齢には限度があり、年齢が進むほど条件が不利になっていくことは否めません。思うように妊活が進まないのであれば、「何もなければそれはそれで安心」と考え、一度ご夫婦での検査を受けてみても良いのではないでしょうか。

とはいえ、一人目を自然妊娠している人にとって、二人目不妊というのはまさに想定外のできごと。何を調べたら良いのかさえわからないのに、医師の見解にも差が見られます。

体の状態やライフスタイルは人によって違うので、私のお伝えしたことはあくまでも参考と考えて。どんな条件を優先して治療を進めていくのかというのはご夫婦でじっくりと話し合い、どんな治療をしていくかというのは主治医としっかり相談してください。

  • みんなの妊活体験談

【体験談】不妊治療を経て得た、夫婦の絆。「不妊治療をしていた頃の私に伝えたいこと」

2019/10/28

今井 さいこ先生

今井 さいこ先生

こんにちは。心理カウンセラーの今井さいこです。

私は現在、妊活支援をする立場にいますが、かつては不妊治療に身を投じていた1人です。
自然妊娠へのこだわり、不妊を受け入れられない気持ちから随分遠回りをした時期がありました。
でも、子宮外妊娠での卵管切除手術を皮切りに、不妊治療(体外受精、顕微授精)、帝王切開での出産、産後の子宮動脈大量出血に対する塞栓術緊急手術など、常に医療の恩恵を受け、命を救われ、新しい命に出会う経験をしてきました。

今回は、これらの経験を通して母になった私が「不妊治療をしていた頃の私」に伝えたいことを一体験談として書いていきます。
読者の皆さまの「未来に目を向ける」きっかけになれたら嬉しく思います。

私は母になる!可能性を信じて

不妊治療に踏み切る前、温活に力を注いだり、食事にとにかく気を遣ってみたり、漢方に頼ってみたり、いろいろなことをしていました。目的は、「自然妊娠をすること」!自然妊娠のためには、健康体でなくてはいけないと考え、そういった情報には飛びついていたように思います。

「〇〇をすれば、妊娠するかもしれない!」

そんな軽い気持ちで始めたことがいつしか、

「1つでも止めたら妊娠しないかもしれない!!」
「とにかく続けなくては!」

という強迫観念から止められなくなり、生活の中心が妊活になっていったのです。
それでも、妊娠をし、そのことで報われたような気持ちになっていたのですが、その妊娠が子宮外妊娠。

「あれだけの頑張りはもうできない」

手術後、真っ先にそう思いました。気力も体力も失った私は何から始めるか、とても悩みました。
なかなか行動は決められなかったものの、1つだけその時に決めたことがあります。

それは、

『絶対に母になる』

ということ。

もちろん、卵管を1つ失った私は、母になれない可能性もありました。でも、もしなれる可能性が少しでもあるなら、自分が子どもを持つことを諦めるまでは私が私の“母になる可能性”を信じる、と決めたのです。

無意識ではありましたが、この時の決断は『自己効力感を高める』結果につながったと思います。
“自己効力感”とは、「自分はその物事を達成できると信じる力」のことです。不妊治療においては「妊娠をして、母になることを自分で信じる力」と言えます。
自己効力感を高める4つの源泉の1つに“言語的説得”があります。これは、「私はできる!!」と言葉で自分に言い聞かせをすることなのですが、「母になる!」と思い続けたことで、うまく結果が出ないとき、停滞するときでも「でも大丈夫!」と必要以上に落ち込まずにいられるようになりました。

「もしかしたら、子どもを持つことを諦めなくてはいけないかも・・・」
そんな不安が大きい時には、この“自己効力感”を高めることに少し意識を向けてみてください。

「この人と2人で生きていきたい・・・」

「子宮外妊娠」になったとき、始めに通院した病院ではなぜか3週間も「子宮外妊娠」の判定をしてもらえませんでした。体調も顔色もどんどん悪くなり(常に出血していたため)、満員電車で気絶しかけたこともありました。
そんな私を見かねた夫が通院先の医師に「いつまで通い続けたら(何かしらの)判断をしてもらえるのでしょうか。」と詰め寄ったため、しぶしぶ大きな病院への紹介状を書いてもらうことができました。大病院には朝一で受診し、その場で子宮外妊娠の診断、午後一で手術となりました。
生まれて初めて車いすに乗せられ、包帯を巻くようなケガもしたことのない私はとても戸惑いが大きかったです。そんな時に一番頼りになり、私の心に寄り添い続けてくれたのは夫でした。

手術の連絡を受けると、すぐに仕事を抜け出して、私のそばで励まし続けてくれ、全身麻酔から覚めた一瞬では手を握って「頑張ったね」と声を掛けてくれました。
その後、この手術の合併症で髄液漏れを起こし、激しい頭痛と嘔吐を10日ほど繰り返すことになるのですが、その間も合併症の原因をめぐって病院と幾度となく話し合いを重ねてくれたりして、これまで以上に信頼できる存在になりました。

それまでの妊活の中ではすれ違うことも多く「子どもが欲しくてこの人と結婚したんだろうか・・・」と自分の気持ちが分からなくなることさえありましたが、このときに「子どもがいる、いないは関係なく、この人と2人で生きていきたい!」と心の底から思えたのです。

夫婦の妊活プランで不妊治療を楽しめた

妊活を本格的に再開したのは子宮外妊娠から3ヶ月後です。と言っても、ゆるくタイミング法をしていました。体力を戻すことを優先し、仕事が忙しい月は休むように。理由は、不妊治療(体外受精)へのステップアップを夫と話し合って決めていたからです。医師の話も参考にして、2人で不妊治療に向けた計画を立てました。

・予算は100万円
・クリニックの説明会に出て、納得できるところに決める
・クリニックにはなるべく2人で通院する

この3つを決めて、クリニックを探しました。予め予算を決めていたので、HPの料金表を比較したり、ブログで体験談を探して読んだりして、候補をかなり絞って説明会に参加。1つ目のクリニックの方針などが夫婦ともに気に入り、すぐに予約をしましたが4ヵ月待ちでした。

実際に通院を初めて、予想外だったことは、HPに記載されている以外の事前検査だけで10万円以上がかかったこと。「治療が始まる前にこの金額。この調子で想定外の診察代や薬代がかかったら予算が足りない!」と危機感を募らせたことは言うまでもありません。
ただ、夫婦の妊活プランとして予算を基準に治療の終わりを作ったことで、私たちは「後悔のないように」と焦ることなく1歩1歩進められました。

私は今でもクライエント様には「夫婦で妊活プランをつくりましょう」という話をします。不妊治療の指針(=妊活プラン)を持つことで、感情に流されることなく不妊治療を着実に進めることができるからです。私たち夫婦の妊活プランには前提条件がありました。それは、子宮外妊娠をした経験を通じて「夫婦2人で生きていくことも楽しい未来の1つ」と未来への選択肢を広げらたことです。夫婦2人の未来への楽しみがあるから、不妊治療を1つの過程として楽しむことができましたし、予算も決めることができました。

妊活プランを持っていないご夫婦は、ぜひお2人の価値観や不妊治療への想い、現実的な面から予算のことなど話し合って、後悔のないプランを作ってみてくださいね。

遺書を書きながら「生きること」を心に決めた

一般的に、子宮外妊娠は全妊婦の2%と言われています。また、全身麻酔手術により髄液漏れを起こす確率は1%ぐらいと医師から言われました(正確な確率は私も調べたことはありません)。この稀な経験を経て、私は1%と言われても「自分の身に起こること」と捉えるようになっていました。そのため、不妊治療でのあらゆるリスクも自分には怒るのではないか、とビクビクしていました。

実際に、不妊治療がうまくいき、滞納確認をしても、心拍確認をしても、クリニックを卒業しても、母子手帳を交付されても、一切喜びの気持ちが起きず、「今回も良い方に転がってくれた」と安堵するだけでした。

そんな私なので、お腹の赤ちゃんが逆子で帝王切開と決まったときには、「帝王切開での出産で命を落とす可能性もあるかも」と考え、入院前に身の回りを整理し、前日に病室で遺書を書いていました。書きながらいろいろ考えているうちに、「あれ、夫と2人の生活をもっと楽しみたいと思っていたはずなのに」と妊活プランを作ったときの気持ちを思い出します。人生の目的を果たしていないと気づいたら、だんだん死んでいられない気持ちが強くなり、「私は死なない!だから遺書はいらない!」とその場で破いて捨てました。

翌日、夫にそのことを話すと笑っていましたが、手術前に夫から渡された手紙には、その私の気持ちに応えるかのようにこれまで2人で乗り越えてきた数々の出来事への感謝の気持ちがつづられていて、とても感動しました。

様々な経験を経て、妊活支援の中で大切にしていること

妊活支援をしながら一番強く思うことは、目の前のクライエント様の「親になる」という願いが叶いますように、ということです。そして、同じぐらい大切に考えていることは「夫婦関係が最高の状態で出産できるようにサポートする」というです。

出産を機に夫婦関係がうまくいかなる人もいます。「子は鎹」という言葉がありますが、子という鎹がなくてもお互いを想い合い、支え合い、理解できるように、時には努力する必要もあります。元は他人同士、何かのきっかけで夫婦として成り立たなくなってしまうことも出てくるのです。

不妊治療の目的はきっと「妊娠すること」でしょう。でも、妊娠することだけではなく、不妊治療を通じて夫婦で得られるものにも目を向けると、夫婦2人の時間を楽しむ心の余裕やありがたみ、楽しさを感じられるようになります。

不妊治療は薬の副作用などで体調やメンタル面に影響を与えることもありますが、そういった辛いときにパートナーが当然のように寄り添う関係づくりをぜひ目指してくださいね。

人生100年時代と言われていますが、どれでけ寿命が延びようと「今は今だけ」です。
人生を幸せな時間の連続にできるよう、落ち込んだり悩んだりするときにはその気持ちをケアすることを意識してみてください。

奇跡的に出逢って愛を誓い、夫婦になったのですから、運命共同体です。
これからのお互いの人生を豊かにする経験の1つとして不妊治療を捉え直し、今よりさらに夫婦関係を良いものにしていきましょう。

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【体験談】つらい妊活を前向きに!私がステップアップに踏み切れたきっかけ

2019/10/25

Marbera運営事務局

Marbera運営事務局

不妊治療をしていた時期を思い出すと、人工授精の後、生理がくる度に号泣して辛かったことが一番に思い出されます。そんなことも続けるうちに慣れてくるのかと思っていたのですが、月日が経つほど不安要素は増幅していくばかり。

ただ幸せになりたくてやっているのに、なんでこんなに辛い思いをしなければいけないのかとよく思っていました。

私の場合、体外受精はお金もかかるし、大量のホルモン注射や採卵、胚移植が怖くて、ステップアップする気はありませんでした。

そんな私が心機一転、不妊治療に前向きになり体外受精にステップアップすることになったのは、ちょっとした気持ちの切り替えでした。

ステップアップへのきっかけ

高度不妊治療に踏み切ったのは、幼馴染であり親友であった同級生がきっかけです。彼女は生まれつき心臓が弱く、若くしてこの世から旅立っていきました。

生前に主治医から子供が産めないと告げられた時、
「長く生きれなくても、せめて子供を産みたかった・・・」と泣きながらに語っていた彼女の言葉がとても印象的でした。

彼女自身が長くは生きられないと悟っていたからこそ、死ぬ前に自分の遺伝子を宿した子供を愛し、育てて、母として愛されたかったのだろうと思います。

かといって、私が体外受精に挑んだのは彼女の遺志を受け継ぎたかったから、というような美談ではありません。

ただ、彼女が「生きる」ためにリスクの大きい手術に何度も挑んで、死の恐怖と闘ってきた姿を見て、「生きる」ということ、「生命」そのもののパワーの強さに突き動かされました。

「生きたい」「産みたい」、という思いは、生命にとって原始的な願望で、それに果敢に挑戦することは当たり前で、なんの疑問もないのだと思い知らされたのです。

彼女が受けてきた治療に比べれば、不妊治療は生命を生み出す可能性を広げる治療で、失敗しても自分の命に別状はない、優しい手術だと思えるようになりました。

失敗しても、自分には何も失うものはないという心の切り替えができたことが大きかったです。

不妊治療とお金の問題

何も失わないと言っても、体外受精にはかなりのお金がかかります。

失敗すればそれが全て無駄になってしまうので「博打」のような感覚さえあります。

正直、実はそれが私自身が体外受精をしたくなかった大きな理由の一つでもありました。

でもそれも考え方を変えるようにしたら、少し楽になったのです。

私の場合は予算を先に決めていたから切り替えができたのかもしれませんが、「浮いたお金で不妊治療をしているだけ」と思うようにしたのです。

でも、不妊治療を始めてからは今まで当たり前のようにしていたネイル、まつげエクステ、海外旅行などを一切やめました。

でも「我慢している」というよりは願掛けのようなつもりで始めたら、そんなに大変なことではありませんでした。

ネイルやまつげエクステなんて、たかが一万円くらいと思うかもしれませんが、それを毎月やっていたら一年で12万円、10年で120万円です。

毎月やっていたわけではないのですが、毎月やっている人と比べれば、自分はそれだけのお金が浮いていると考えたのです。

またステップアップしてからは、「妊娠しやすいからだづくりをしよう!」と、できるだけカフェイン、アルコール、外食、スイーツを摂取しないようにしたら、出費も減りました。

友達付き合いは減ってしまいましたが、今はSNSもあるので途切れることもありませんでした。

もちろんサプリなどで新たな出費はあるのですが、それは妊活だけの投資出費ではなく、自分の健康への投資だと思うようにしました。

体外受精では予定通りにいかず、思わぬ注射の追加や処置などで予算を越えることもあります。

でも基本的には節約しているお金を不妊治療に充てているだけだと思うようにして、超えた分はまた違う節約を考えることで、私の場合は精神的に楽になりました。

「つらい」という言葉を使わなくなった

不妊治療を楽しんでやるということは難しいし、できないですよね。

ただ、つらい毎日だと思うことを止めました。

亡くなった幼馴染からしてみれば、健康に生活できていることこそが幸せなことなのに、それをつらいと言ってしまうのは申し訳ないと自然に思うようになりました。

彼女があれだけ病魔と闘ってでも生きてみたかった毎日を過ごしているのに、妊娠しない自分は不幸だ、と思わないようにしたのです。

もちろんそうは言っても、たまにどうしようもなく落ち着かない日はあります。

集中できる仕事があればいいのですが、そうでもない時には、笑って過ごせるようなバラエティ番組を観て、不妊治療のことは考えないように過ごしてきました。

それもあってか、ステップアップしてからは大変ではあったのですが、つらい日々だったという思い出はあまりありません。

〝妊娠しなくても不幸じゃない〟と言い聞かせた

不妊治療の一番の不安は、長く続けても最終的に妊娠しないことではないでしょうか。

自分に対して妊娠することの諦めをつけるためにも挑戦する、という考え方もあると思います。

私もできるだけそう思うようにしてました。

ステップアップする際には、子供がいない人生を不幸だと思わないようにする試みをしてきました。

特に生理が近づくあたりは毎日妊娠検査薬を使って落ち着かない時期だったので、PCのメモに、子供のいない人生だったら何をしたいかを書き上げていきました。

大したことは書いていません。ただ写真を本格的に始めようとか、日本・海外のイベントやお祭りに足を運んで写真を撮って、それをブログにアップしてみようとか、そんな程度です。

そうすると心が落ち着いてきました。

そんな時に自分が妊娠していることがわかったので、こういった心のコントロールも大事だったのではないかと思います。

誰かの一つの参考になれば

ベビ待ちさんには、昔の私のように不安とプレッシャーで泣いてばかりの毎日を過ごしている方もいらっしゃるかもしれません。

私自身はこういった気持ちの切り替えで、ストレスを軽減して過ごすことができたという一つの例ですが、それぞれのベビ待ちさんにあった方法がみつかればと思います。

あの頃の自分のように情緒不安定な毎日を過ごしていらっしゃるベビ待ちさんがいらっしゃったら、その人の心が少しでも軽くなりますように。きっとうまく行くように、お祈りしています。

(40代 みおんさん)

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【体験談】「おめでとう」がいえなくて・・・妊活中の複雑な気持ち

2019/10/13

Marbera運営事務局

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周りの皆を笑顔にする、幸せな妊娠、出産報告。
「おめでとう!」その言葉は心からの気持ちなんです。
その反面、何だかチクッと心が痛むのも事実でした。

まわりからどんどん取り残されていく・・・

それは、私がまだ30代前半で結婚4年目くらいのこと。
後に結婚した2歳年下の妹が「妊娠した」と、離れて暮らす母から報告を受けました。

あれ、そういえば私たち夫婦は子どもを授からないなあ。
でも、まだ30代だし。子どもがいない友達夫婦だって、たくさんいるから。

妹の妊娠報告で痛んだ心の痛みを忘れるほど、私には根拠のない自信と余裕がありました。
初潮時から生理痛がひどく、高校生の頃には婦人科の診察を受けたこともありましたが、仕事が忙しいこともあって、婦人科からは足が遠のいていました。

当時、生理痛とともに悩まされたのが貧血です。
貧血治療で通院していた内科では不定期に婦人科も診察していました。あらためて婦人科に出向くのも何だかはずかしいという思いもあり、そのクリニックで婦人科医師の内診を受けることになったのです。

婦人科の女性医師によると「生理はひどいほうだと思うけれど、とりたてて疾患もなさそう」との見立て。高校時代の受診結果と同じでした。

安心したのと同時に、じゃあどうしてうちには子どもが来てくれないんだろう?と不思議に思ったものです。

ちなみにその時の診察は触診のみ。エコーはもちろん、血液検査もありませんでした。後で振り返ると、ほとんど意味のない診察だったと思います。

どうして授からないの?悩める日々

主人が地方都市に転勤することとなり、激務だった仕事を辞めました。

専業主婦となり、新しい土地に馴染むべく、毎日を忙しく過ごす日々。そんな中、聞こえてくるのは友人、知人の妊娠、出産報告の便りばかり。

身内である妹の時に感じた痛みが、知らず知らず大きくなっていく気がしました。

私は子どもができにくい体質なのかな?それとも主人が?他の人が簡単にできていることがどうしてできないの?

どうしてわが子を自然に授かることがないのだろう……。

悩んだ末、まずは一般的な産婦人科を受診することにしました。

そのクリニックでの治療は、不妊治療専門ではなく、あくまで婦人科治療の一環という扱い。幸せそうな妊婦さんたちに混じって順番を待つたび、ざわざわする気持ちが強くなっていきます。

しばらく通院しましたが、エコーと排卵日後にホルモン注射を打つだけの同じような治療に不安は募るばかり。転院を決めました。

引越し先は地方都市とはいえ、中心部から離れると田園地帯が広がるのどかなエリアでもありました。都会と比べると婦人科自体が少なく、めぼしい病院をドクターショッピングするしか方法がありません。
けれども結局はタイミング指導やホルモン注射、排卵誘発剤の投薬など、ほぼ同じような治療ばかりで、妊娠もしません。

その一方で、生理はどんどんひどくなるばかりです。

ある日、卵巣のあるあたり、脇腹に激痛を覚え、倒れこんでしまいました。

その時にようやく決心したのです。このままじゃ、ダメだ。本気で不妊治療にチャレンジしなければ、わが子に出会えないのかもしれない。

エリアの都市部にある、有名不妊治療専門病院の門を叩くことを決めたのは、妹の妊娠を聞いてから6年以上経過した時でした。

初診の際、診察してくれた聡明な女性医師は、静かにいいました。「子宮内膜症で癒着がひどくて自然妊娠は難しいかもしれないね。それに相当痛いはずだよ、よく耐えてがんばったね」。

これまでいくつもの病院を回ったのに、指摘されることもなかった症状でした。投薬によって、子宮内膜症がひどくなった可能性もあります。

原因がわかってほっとした気持ちと、痛みに寄り添う温かい言葉がうれしくて、涙をこらえるのに精一杯でした。

経験者として理解できる心の痛み

私は、信頼できる医師とやっと出会えたことでその後治療を進めることができました。

そして気づいたのは、私自身が女性の体、自分の体のことをわかっていなかったのだということ。もっと早く、婦人科の門を叩いていればよかったという後悔です。

「子どもをなかなか授からないけれど、誰にも相談できない」そんな状況にある人は、実は少なくないと思っています。ただ、あまり大きな声で話せることではないから、ひそかに悩んでいるはずです。

また授かりたいという思いが同じ夫婦でも、夫や妻それぞれ温度差もあります。孤独を感じてしまうこともあるかも知れません。

妊活や不妊治療に関する話題はデリケートで、なかなか本音を話すことは難しい問題です。だからこそ身近な親族や友人の妊娠、出産報告を祝いたいのに祝えない、そんな複雑な気持ちを持つのは当然だし、これは経験者でないとわからない痛みです。

痛みを感じるすべての人に、私の経験を役立てることができたらいいなと願っています。

(40代 とまこ)

  • みんなの妊活体験談

【体験談】「あなたの子供を授かりたい・・・」男目線で語る、私と妻の7年の不妊治療

2019/05/06

Marbera運営事務局

Marbera運営事務局

私が不妊治療を妻と共に始めたのは、私が30歳で妻が34歳の時でした。
結婚して普通に夫婦生活をしていれば、普通に子供は授かるものだと考えていましたが、妊娠の予兆はまったく無く、何かおかしいなと感じ始めていました。

早く子供が欲しかった私達。妻は定期的に体温を測って妊娠しやすい日を選んだり、身体を温めたりするなど色々と試してみましたが、妊娠の予兆が現れる事はありませんでした。

約7年の不妊治療の戦いが始まる・・・

さっそく妻は近所の産婦人科に通い始め、この日からなんと約7年の不妊治療の戦いが始まったのです。
約半年間ほど、産婦人科に通い続けましたが原因が詳しくは解らなかったので、私達は県外の有名な不妊治療専門クリニックをネットで調べ、そこへ通う事に決めました。

産婦人科に行けば何かわかるだろう。私達も最初はそう思っていました。しかし普通の婦人病や出産の為の産婦人科医院では不妊の原因を詳しく調べる事は困難だったのです。不妊治療にはお金も時間もかかるので、子供が授からないと思ったら早めに不妊治療を専門に行っているクリニックにすぐに通う事をお勧めします。

県外の有名不妊治療クリニックへいざ!

不妊治療専門クリニックは、私の自宅からは車で約3時間以上もかかる所にありました。
妻はここに約4年間通って不妊治療にあたりました。不妊の理由は1つでは無く、様々な理由が重なって起こる為、まずは何が原因なのかという事を洗い出す事から始まりました。妻の身体を長い時間をかけて調べ、私も精子に異常がないかを徹底的に調べる事になりました。

自宅から病院まで遠い為、院内の個室で精子を出さなければならず、初めは恥ずかしさや情けなさといった色々な感情が入り混じって、何でこんなことをしなければならないのかといつも思っていました。男性の方なら抵抗感もあると思います。

様々な検査の結果、妻の不妊の原因は生まれつき卵子を子宮に運ぶ事が難しい事(卵管采が生まれつき短い)が判り、人工授精と体外受精の選択になりました。

こちらの不妊治療専門医院は、九州でも有名な医院でしたのでとても患者さんが多く、待合時間は長くて2時間以上かかりました。

先生の方針かもしれませんが、実際に先生に診察してもらう時間は5分も無く、採血や記録の確認のみで、具体的なアドバイスなどはほとんどありませんでした。

この頃の私達は、何が良くて何が悪いのか解らない状態で、只々お医者さんの言われる様にしていました。

いつ授かるかも解らない不安と高齢出産の恐怖。そして周りからの悪気の無いプレッシャー。

さらに、長い時間と多くの費用を掛けて通う産婦人科医院では、事務的に仕事をこなす先生に頼れる様な雰囲気はまったくありません。その後も数回行った人工授精や体外受精では何も結果は出ることもなく、私達の不安と不満はますます溜まるばかりでした。

そんなとき、病院からの帰り道に車で追突事故を・・・

妻の身体と心は疲れ果ててしまい、ある日、クリニックの帰り道に車で追突事故を起こしてしまいました。

それは妻もまったく無意識の一瞬の居眠りでした。

こんなにも辛い思いをしなければならないのか・・・・
私は「子供を諦めてもいいよ」と思い妻にもその事を伝えたのです。しかし、妻は自分の事や私の事、私の両親や今後の事まで考えて「どうしても子供が欲しい」と思う様になっていました。

妻もこの時の自分は、まるで鬼か夜叉になったような気持ちだったと言います。
肉体的にも精神的にも追い詰められていった妻は、ついに「離婚したい」という言葉まで口にする様になっていました。

私は妻が子供を諦める事は出来ないのは十分に解っていました。そして、年齢的にも高齢出産になってしまうという心配もありましたが、今の私達の状態では何をしてもうまくいくとは思えなかったので「一旦不妊治療を休もう」と二人で相談して決めたのです。

「ストレスを感じる事は良くない」と思い、今まで不妊治療につぎ込んできた毎月のお給料を、美味しい物を食べに行ったり趣味のドライブに充てて、これまで溜まったストレスを発散して、また新しい気持ちで治療を始めようと決めました。そしてゆっくりと時間が取れる様に、自宅から近い地元の不妊治療専門クリニックに転院を決めました。

決断。そして二度目の転院

妻は仕事をしながらの不妊治療でした。
最初の県外の医院では仕事を休んで治療に行かなければならず、同僚に迷惑をかけてしまうという精神的負担が大きかったようです。
それと同時に、母体の心身の健康の為にも地元の薬剤師の先生が行っている、食生活の見直しと漢方による体質改善の治療も同時に行っていました。

言葉には力がある

二人の先生たちはゆっくり優しく、そして丁寧にいつも治療をしてくださいました。「大丈夫!絶対に授かるよ」毎回その言葉をかけてくれるのが私達には大変ありがたく、辛い不妊治療の励みになったことは間違いありません。 薬剤師の先生から「言葉には力がある」と、教えられました。想いは口にする事でそういう風になっていく。   実はお恥ずかしながら、それまでそんな事など考えた事もなかったのでしたが、私達がそう思うようになったのは、この二人の先生のおかげでした。

 先生との話し合いで、これまでの治療の経緯から人工授精では難しいだろうという事と、妻本人の「早く授かりたい」という強い希望もあって、私たちは体外受精を選択にする事にしました。しかし、通院を始めてすぐ体外受精を行いましたが結果は出ませんでした。

そこで、薬剤師の先生とじっくりと焦らず体質改善に取り組み、二回目の体外授精で戻した受精卵がしっかりと子宮に着床して妊娠が実現しました。
“想いが本当に叶った”そんな晴れやかな気分で妊娠報告のクリニックの帰り道。
ちょうどお祭りでにぎわう秋夜の街を、二人で手を繋いで歩いたときのことを今でもよく覚えています。

いま不妊で悩んでいるご夫婦へ伝えたいこと

これから不妊治療を始める人、不妊治療をしている方達には是非やってもらいたい事があります。
それは食生活の見直しです。

私達は不妊とわかる前は、お互いに仕事も忙しく、コンビニ弁当やスーパーのお総菜を買ってくるなどばかりで、あまり食べるものにこだわりがありませんでした。せっかくお金をかけて人工授精や体外受精を行っても、子宮にちゃんと「着床するかどうか」というのはどうしても母体の体質の問題になってくるからです。

時間と手間はかかりますが、昔ながらの「和食」を取り入れる事が、不妊治療中一番効果があったように思えます。お菓子やケーキの様な甘い物を極力控え、食事にはお味噌汁や納豆の様な発酵食品を取り入れる。人口調味料を使わずにお出汁を取って味付けし、素材の味を生かす様な食事作りを心がけていました。すると少しずつですが妻の平均体温が上がり、それが着床に繋がったのではないかと感じています。

 それからもう一つはストレスを溜めないこと。
実はこれが一番難しいと思います。
実際、私達もなかなか結果が出ず、焦ってはいつもイライラしていました。
でもそんな時こそ、自然の多くある所に無理やりでも行くとかなり効果がありました。
風の音や木々が重なり合う音。鳥や虫の無き声をじっと聴くと、すーっと心が落ち着いてきます。特に神社は自然も多くて、その上お参りも出来ますので特におススメです。

不妊治療による制限された生活をすれば身も心も疲れてしまいます。
そこで、週に一日は不妊治療をおやすみする日、考えない日を作ると良いです。あまり根を詰めて不妊治療に取り組んでしまうと極度にストレスが溜まります。今思えば、ストレスを溜めない様に生活を整えていくことが、一番の不妊治療だったのではないか・・・と思うくらいです。

最後に、男性に向けて伝えたいこと

毎日のお仕事の上に不妊治療という問題は夫婦にとっては大変な重圧です。日本の社会や企業は、不妊治療は女性の問題という考えがまだまだ根強く、男性側が協力的ではないのが現状です。実際に私も不妊治療中には無理を言って会社を休んだり、有給を取ったりして夫婦でクリニックに通いました。

そんなことをすれば収入が減ったり、会社内での立場が悪くなったりするのでは?とお思いでしょう。      でも、そんな事よりも、あなたの隣で、身も心も削りながら「あなたの子供を授かりたい」と願っているパートナーの事を良く良く考えて下さい。そして常に寄り添って支えてあげて下さい。
ほんとうに、こんな事くらいしか男にはできないのです。
会社はあなたが居なくても大丈夫です(究極は)でも、パートナーにはあなたしかいないという事を常に心に想って、二人で不妊治療に取り組んで欲しいと思います。

不妊治療体験者として、不妊治療中の方に頑張って下さいねなんて気軽には言えません。どなたも本当に頑張っているのは良く解りますから。でも、ちょっとだけ心に余裕を持つようにしてほしいなって私からはアドバイスです。

どんな結果でも、ご夫婦二人にとっての幸せにつながる様に。心からそう祈っております。
(30代男性 Yさん)